古典文学の中にみられる厄年

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 古くから厄年は用いられていたようで、その証拠に、古典文学の中にも厄年の記載が見られます。

 ここでは、関係のある厄年の記述のみ一部あげてみます。
 江戸時代には、男性と女性の厄年が別々となり、大厄とか前厄や跳厄(後厄)というようになったと伝えています。

 その証拠に、「和漢三才図会」には、「今の俗男女厄を分つ、その拠るところを知らず。男四十二を大厄とし、その前年を前厄といい、翌年を跳厄(はねやく)といい、前後三年を忌む・・・」とあります。

 「和漢三才図会」は、今から約270年前の正徳3年に編纂された、和漢古今にわたる事物(天文・人物・道具など)を105部門に分けて解説した書です。
 もう少し時代をさかのぼってみていくと、日本の古典では13歳、33歳、37歳、42歳を厄年としているのがみられます。

 例えば有名な物語にも厄年が出てきます。

 「源氏物語」の薄雲の巻には、「三十七にぞおわしましける、慎しませたもうべき御年なるに、はればれしからで・・・」。若葉の巻下には、「今年は三十七にぞなりたもう。さるべき御祷りなど常より取りわきて、今年は慎しみたまえ・・・。

 「栄華物語」のかがやく藤壷の巻には、「今年ぞ十三にならせたまいける、人のつつしむべき年にてもあり、宿曜などにも心ぼそくのみぞ云いて侍れば・・・」。

 「水鏡」の序には、「慎しむべき年にて、すぎし如月の初午の日龍蓋寺へ詣うで侍りて・・・。三十三を過ぎ難し、相人なども申しあいたりしかば、岡寺は厄を転じたまわりて詣ではじめより・・・」。

 「高国記」の下巻には、「太栄五年四月、高国四十二の重役とて出家す・・・」。

 と、現代の私たちが考える以上に、平安においても厄年というものがいかに重要であったかということがわかります。

 ※源氏物語・・・54帖、紫式部著。11世紀の初めの頃の成立で、我が国文学の最高峰を占める、平安期の代表的物語。
 ※栄華物語・・・40巻の歴史物語で11世紀の成立。宇多天皇から堀河天皇まで15代200年に及ぶ宮廷貴族の歴史、藤原道長の栄華を中心に抽く史書で、初めてのかな書き編年体に記してあります。
 ※水鏡・・・3巻、歴史物語。12世紀末成立で、神武天皇から仁明天皇までを記してあります。
 ※高国記・・・細川高国(ほそかわたかくに:1484~1531年)。室町時代の武将で、出家して道永と称しました。

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